過去50年間の日経平均株価の推移を簡単に振り返ってみた

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1945年に取引再開

日本では古くから株式取引は行われていましたが、現在のように活発に行われるようになったのは戦後のことです。敗戦後には証券取引所が閉鎖されていましたが、1945年に取引が再開されます。そして、1950年の9月には東京証券取引所で日経平均株価が算出されるようになります。このときには、1949年の5月16日までさかのぼって算出がなされました。

東京証券取引所から日本経済新聞社へ

算出は先だって行われていましたが、東京証券取引所がそれを公開し始めたのが1969年の7月1日です。
元々は東京証券取引所が公表していたのですが、1970年以降は日本経済新聞社が公表を引き継ぎます。

上昇し続けた40年間

日本は戦争によって経済はぼろぼろになったと言っても良いでしょう。
ほぼ経済が崩壊している状態から経済発展が恥じ合ったのですが、1949年の算出開始日から1989年まで上昇を続けます。
40年間で220倍にまで上昇したのです。1989年には、過去最高値をつけます。
ザラ場で38957.44円、終値ベースで38915.87円をつけたのが12月29日です。

1990年 バブル崩壊

しかし、その後は徐々に低下していき、1990年10月1日には2万円を割れます。ここでバブル経済の崩壊へとつながるのです。

バブル経済が崩壊してからは、上下を繰り返しながらも全体として下落傾向にあったと言えるでしょう。

暗黒期 2001年~2003年

政府は有効な金融政策をとることができず、経済対策もとることができないままで、日経平均株価は下落していきますが、大きく下落したのが2001年9月12日で、その後、2003年には算出開始以来の最安値をつけます。
ザラ場ベースで7603.76円、終値ベースで7607.88円をつけたのです。

2008年 リーマンショック

過去最安値をつけて後には、アメリカの住宅バブルなどによって世界経済は回復し、日経平均株価も上昇しますが、2008年の9月に起こったリーマンショックによって、一時7000円近くまで下落したのです。

そこからは株価は低迷を続け、また2011年の東日本大震災の影響もあって低迷は長期化することとなります。

アベノミクスが上昇の転機に

株価の上昇の転機となったのは、アベノミクスの影響です。
安倍政権が誕生してから、金融緩和、財政出動、成長戦略の、いわゆる三本の矢を掲げたのがアベノミクスで、これによって一気に上昇へと投入します。

金融緩和の目的はデフレからの脱却ですが、結果として金融緩和によってそれまでの円高に終止符が打たれ、円安トレンドへと変化します。

円安トレンドによる輸出企業の巻き返し

日本の輸出企業が息を吹き返し、それによって株価が上昇したと考えられるのです。また、財政出動も大きく影響していて、投資家のマインドもかなり楽観的になったと言えるでしょう。

上昇に転じてからも、株価の上昇要因になる様々な政策が打たれるようになりました。

GPIFの運用割合変更

例えば、GPIFが運用する資産の割合を、国債などの債券中心のものから株式へとシフトしました。

GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)とは、厚生年金と国民年金を管理する機関です。
GPIFは日本で最大の年金基金ですから、その影響は非常に大きく、株価の上昇要因になったと言えるでしょう。

需要が大きくなったことによる株価の上昇だけではなく、投機筋も大きく影響したと考えられます。

このような政策による株価の上昇は官製相場とも言われました。
GPIFの買い需要とともに、個人投資家への税制優遇政策であるNISAによって、個人の資金が相場に流入したことも日経平均株価を上昇させた要因の一つだと考えられています。

金融政策では物価目標を2%と定めていますが、現在のところはそれが達成できる見通しは立っていませんし、有効な経済対策もまだ実現していません。これらが実現するようになれば、さらに上昇する可能性を秘めています。